田崎悦子 エッセイ

<<エッセイのトップに戻る

ヴェローナの雨

img

19世紀音楽界のフランツ・リストは、その華やかなピアノ作品と悩殺的な演奏で、マイケル・ジャクソン的存在だったと言われる。

数年前、彼の「イタリアの巡礼」全曲を演奏するにあたり、無性に彼の歩んだ北イタリアの旅をしたくなった。「さまよう」私の旅スタイルでその日は、ヴェローナにたどりついた。夕方、若い女友達と、そぞろ歩きでジュリエットの家の横を通り、モンターギュー家とキャピュレット家の決闘が行われた、といわれる広場に出る。 石だたみの広場は、赤や緑の中世の家々に囲まれオペラの舞台のようだ。

さて、どこで飲もうか食べようか、という最も幸せな体勢に入った時、ふと誰かに呼び止められた。目の前には、ゲーテの作品に出現するファウスト(悪魔メフィストに魂を売った男)を思わせる年老いた学者風の男とその弟子、といった2人組。いきなり私に”君の目は悲しいたたずまいをしている。その深さはどこで学んだのかい?君のつれあいはまだまだ月日が必要だね”と切り出した。悲しみと美の存在、ひいては宇宙全体のあり方に関して、悲観とジョークに入りまじった人生論を繰り広げる。夕暮れが深まっていく。やがて、ぽつ、ぽつと大つぶの雨が降り始め、若者の方が傘を広げた。私たち4人は、ひとつ傘の下に身をおき、ファウスト氏のひげの下からうめき声のようにはきだされる人生の重みを受け止めていた。

11月の冷たい雨は、やむ気配がない。

ふと、むこうの小路の街灯に下を黒いマントに身を包んだリストが足早に横切った気がした。

(田崎悦子=ピアニスト)

<<エッセイのトップに戻る

↑page top