田崎悦子 エッセイ

<<エッセイのトップに戻る

そして、春は必ずやってくる

img

東京郊外に生まれ、幼少時代を過ごした私は高校卒業と共に二ューヨークの音楽院に留学した…前回の東京オリンピックの前、日本が高度成長期に入る頃だった…そして、そのまま彼の地で、演奏活動に入り気がつくと30年の歳月が過ぎていた。

帰国すると、あの頃家の周りにあった、きゅうり畑や雑木林、昭和の建物は消えて、そのかわり細かくきざまれた土地にぎゅうぎゅうコンクリートの家が建ち並んでいた。私の想い描いていた故郷は、もうあとかたも無かった。

思い切って田舎に住む決心をした。八ヶ岳山麓の、目の前にワーッと畑が広がる農村地帯に住んでいる。そのむこうに南アルプス、左に富士山、近くには藁葺き屋根の家が数軒。そしてあこがれの柴犬を飼い、「小太郎」と名をつけた。やがて彼は私のピアノと他の人の音を聞き分けられるようになり、私達は一心同体だった。小太郎が10才になった時、はっ、と気がついた。犬の命は約15年と言われている。死んでしまったらどうしよう!?私は小太郎におよめさん(歌マロ)をさがし、その8ヶ月後には、5匹の赤ちゃんが生まれた。内1匹は、想いがかなって、小太郎に似た茶色い柴だったので、「小茶マロ」と名をつけた。

この大自然の中、小太郎一家は順調に生活をしていたが、ある日、15才になった小太郎が突然失踪した。もう目も見えず、耳も聞こえず、足もヨタヨタで……。その2年後のある日、歌マロが新しい3匹の子犬を生んだ、と思ったら、それから半年して、ある朝、道で食べた物を吐き出して、死んでいた。犬の生涯が15年だとして、人間の約6分の1。その家族の一生を目のあたりにしていると、人間の人生も、生まれては死に、死んでは生まれる、という事が実感として分かるようになった。

又、朝、光の中にゆらぐ木の葉、昼間の力強い太陽、夕暮れの、静かに移動するピンクや紫の雲、まっ黒く静まる闇の中の虫の鳴き声…までの1日を「一生」と考える事も出来る。その一生には、又、明日がある。
それと、雪の下から顔を出すふきのとう、ひまわりが沢山笑う夏、雨の道にへばりつく紅葉、いろりにとける赤い炭……こんな四季を持つ「一年」も、ひとつの完結した「一生」だなと想う。

そして又、春は必ずやって来る。

(田崎悦子=ピアニスト)

<<エッセイのトップに戻る

↑page top