田崎悦子 エッセイ

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「バッハプロジェクト2004」 プログラムによせて 第2夜

Bach Project“NACH BACH”の第1夜を終え、ちょっとひと息している内に季節は今一度衣替えをした。目の前に見える南アルプス連山の合間から三角形にちょこん、と頭を出している北岳は、おさとうのかたまりのようにまっ白になり、富士山は丁度絵に画いたように上3分程が雪におおわれている。夕暮れは短く、あっという間にインクを流しこんだような闇が来て、ストーブに薪をくべる儀式を行う時間になる。燃えさかる炎がだんだん落ちつき、トロトロと甘くやわらかいあたたかさを放つ頃になると、なぜかいつも昔の事を想い出す。今もやがてはそうなるのだろうけど、私の「昔」はセピア色の映画のようだ。

シーン1

時 : J.F.ケネディが大統領になった年

所 : New York, N.Y.

音楽高校卒業と同時にNew Yorkに留学した私にはその頃の前衛音楽の最先端をゆくJohn Cageとその仲間達との出会いが待っていた。日本でBeethovenやChopinをただきちんと弾くように習って来た私は、何も分らないまま、そのような人々の実験的な作品を次から次と弾いていたのだから、まったくどんな光景だったのか今となっては知るよしもないけれど、若さと無知さだけが私の味方だった。おそれも違和感も持たず、すんなりとその世界に入り、楽しくやっていた。

彼等は日本から来たばかりの若い私をとてもかわいがってくれたので、それ以降、「現代音楽」は私にとってごくフレンドリーに感じられるものとなった。今でこそ世界のアートとファッションの中心地のSoHo地区だけれども、その頃は、あたり一面倉庫街で、夜は暗く、こわかった。しかし、その一角にあるビルの中、細く長い階段をのぼりつめたところが彼等の集う場所で、そこは別世界だった――まだ世に出ていない作品、世には認められない作品や人々の真剣さとエネルギーが爆発し合い、個性が渦を巻いていて、若い私の胸に、作品を「創造する」という事のすごさを一生焼きつけたものだった。

シーン2

時 : 人類が初めて月に着陸した夏

所 : マルボロ, U.S.A.

私はアメリカ北東部のこの小さな町に来ていた。チェロのカザルス、ピアノのゼルキンやホルショフスキー等が居て音楽祭を開催していたのだ。特にBach、Beethoven、Schubert等の作品が取りざたされ、神のようなその人達の演奏を聴いたり、指導を受けたり、会話や食事を共にしたりのひと夏だった。「Bachはこう弾くべきである」という指導はどこにもなく、カザルスの弾くBachは空気のように、太陽のように、風のように私の全身にふりそそぎ、私は鳥となって幸せに空を自由に飛びまわるのだった。すべては自然で、そしてその一音一音はしたたるように心に宿るものだった。

私はその楽園を若い時に知ってしまったので、今でもその時の音しか耳も心も聞こうとしない。音楽家達が商品として売り買いされているNew Yorkはそれ程遠くないところにあるのに、マルボロだけはその現実世界とまったくかけはなれ、全員が音楽の・・・しもべとなった精神世界で生活していた。彼等の音楽に向う謙虚で自身にきびしい姿は、常に作曲家の身になって作品を考える事であり、カザルスの口ぐせは、“音を弾くのではなく、音のウラにあるものを弾きなさい”というものだった。あの姿もあの音も、誰にも取り去る事の出来ない、永遠に私のものとなっている。

今回のBach Project“NACH BACH”は、このような歴史的場面に幸運にも居合わせる事の出来た私のセピア色の「昔」へのオマージュであり、又、無意識にも、現在と未来へ、そのようなピュアで心に宿る音楽の楽園を引きついで行きたいという願いがこめられているのかもしれない。

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